興慶宮公園

唐の興慶宮跡に造られた約50万㎡の公園。興慶宮はもと隆慶坊といい、即位前の玄宗(李隆基)と5人の兄弟が住んでいたが、712年に玄宗が即位すると皇帝の宮殿となり、皇帝の隆の字を避けて興慶宮と改名された。40年以上かけて造営された大宮殿群は唐末の戦乱で廃墟と化し、今日の園内には玄宗が楊貴妃と牡丹を愛でた沈香亭や、兄弟と宴を催した花萼相輝楼が再建されている。公園南東部には玄宗に重用された留学生、阿倍仲麻呂の記念碑がある。高さ3.6mの漢白玉の石碑には、仲麻呂遭難の報を聞き、その生還を知らずに李白が詠んだ追悼詩と、仲麻呂の望郷の和歌「天の原ふりさけみれば春日なる/三笠の山に出てし月かも」の漢訳が刻まれている。